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照片上的故事:为怀有中国人的自豪感
2015年03月09日 20:24        稿件来源:中文导报
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征文作者:林俊德 (横滨山手中华学校小学六年级学生•华侨第四代)

照片的年代(具体时间)·拍摄地点:横滨元町

照片上的人物以及与作者的关系:祖父·父亲

 

中 文

这张照片是1965左右我的祖父和爸爸以及哥哥姐姐在横滨元町1丁目拍的。当时祖父经营着一家洋式服装店。

我的曾祖父母1924年从福建省来到日本,住在和歌山县胜浦。来日本的主要原因是因为福建的生活太贫穷,所以他们带着1岁的祖父来这里寻找新天地,但是在日本的生活并不像想像中的那么轻松。当时,曾祖父在和歌山胜浦从事吴服的贸易工作。

祖父到青少年时期一直在日本生活,因工作关系去了中国的天津,在那里遇到了祖母并结了婚。他们共同经历了中国的内战以及新中国成立的历史时期直到1958年领着四个孩子回到日本横滨定居。四年后我的父亲出生。听父亲说:奶奶的兄弟们以及亲属在文化大革命中都受到了不同程度的迫害,幸运的是祖父母来到日本躲过了那场灾难得以安定的生活。

我的父亲是华侨的第三代,但跟我比起来他却不会说中文,因为父亲没有上过中华学校。父亲为了我能怀有中国人的自豪感把我送到了中华学校。我现在就学的中华学校是我的曾祖父母、祖父母一代代华侨们不懈的努力才有了今天这么大的规模,因此我作为中国人的后代要带着感恩的心怀着无限的自豪才能回报他们。

 

日 文

この写真は横浜元町1丁目の1965年頃の写真です。僕の祖父と父の兄弟です。この当時の祖父の仕事は洋服屋を経営していました。

僕の曾祖父母は1924年福建省から和歌山県勝浦に移住しました、理由は福建省での生活が大変貧しかったので、まだ1歳の祖父を連れ新天地へやってきたのです、が、日本での生活もそう楽ではなかったそうです。当時、曾祖父の仕事は和歌山勝浦で呉服の行商をしていたそうです。

その後、祖父は青春期まで日本で暮らし、仕事で中国の天津に移り住み、祖母と出会い結婚しました。そして、中国の動乱期を過ごし、1958年に子供4人を連れ日本に戻り横浜に定住しました。それから4年、父が生まれました。父から聞いた話だと、祖母方の兄弟、親戚はそののち中国で起こった文化大革命ですごく苦労したそうです。幸運な事に祖父母は日本に居たため平和に暮らせました。

僕の父は華僑三世ですが四世のぼくよりも中国語ができません。なぜかというと父は中華学校に入学しなかったからです。父は僕に中国人としてのプライドを持つようにと中華学校に入学させました。僕が通う中華学校は曾祖父母や祖父母の世代の方々の苦労と努力のおかげで今があります。そのことを感謝すると共に中国人の子どもとして生まれてきたことを誇りに思っています。

 

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